ポスト-コロナ時代のスマート化や働き方改革が求められる中で、研究活動においても効率化を目指すスマートラボやラボオートメーションといった言葉が盛んに聞かれるようになっている。また、製薬産業における医薬品開発においては、10 年以上の時間と数百億~数千億円規模の費用が必要である一方で、成功確率は年々低下し難易度が上昇し続けている状況にある1)。増加する開発費用の抑制、および研究開発プロセスの加速化が望まれており、その方策としてスマートラボ、ラボオートメーションの活用が注目されている2,3)。
本稿では、第一三共株式会社(以下、DS)において実践してきた、創薬化学研究における分析・分離・精製業務におけるスマートラボやラボオートメーションの取り組み、およびこれらから創出されるデータ活用の事例についてのケーススタディを報告する。
創薬化学研究者が実施する日々の実験において研究機器の果たす役割は大きい。特に、クロマトグラフィーをはじめとする分析・分離・精製装置は、人手によるこれらの実験業務を代替するものとして発展してきた。
創薬化学研究における分析・分離・精製工程は化合物合成の律速工程になることが多く、特に物理的差をほとんど示さない光学異性体の分析・分離・精製は専門的な知識と経験を要する業務である4)。
また、創薬研究における光学異性体の分離は化合物の薬効・安全性を評価する上で重要であり、アメリカ食品医薬品局(FDA)-欧州医薬品庁(EMA)ガイドラインにも、光学異性体の評価に関する指針が定められている5,6)。また、実際の臨床研究においてもラセミ体とシングルエナンチオマーの差が報告されており、多くの医薬品がシングルエナンチオマーとして上市されている7,8)。
DS では、こうした状況のもと、日々の研究における分析・分離・精製を加速化すべく高速液体クロマトグラフ(以下、HPLC)、および超臨界流体クロマトグラフィー(SFC)を用いた光学分割プラットフォームの構築を2019年に開始した。プラットフォームの構築に際しては以下の視点を重視して実施することとした。即ち、① システム化されたワークフローの構築、② 高いユーザービリティ・リモート測定、③ データ・知見の集積化、この3点である。
① システム化されたワークフローの構築においては、株式会社ダイセルより公開されている光学分割条件の探索ワークフロー4)と、これまでの研究者による知見を集約し、ソフトウェアのメソッドスカウティング機能を活用して探索条件を定型化し網羅的に設定することとした。一例として、網羅的 HPLC/SFC-順送/逆相ハイブリットシステムの例を挙げる。
本システムには先に挙げたワークフローを満たす3つの測定モード(順送・逆相・SFC)、10種のキラルカラム、30種の添加剤溶媒を有しており、その可能な組み合わせは約500通りに達する。このワークフローを単純化・定型化し、利用モード(3通り)と化合物性状(3通り)からなる、3×3の合計9通りのメゾットスカウティングのワークフローに落とし込むことで、効率的な条件探索を達成している。装置利用ユーザーはこの9通りの中から望みのメゾットを選び、サンプル名などの必要項目を設定する数分程度の工程のみで、望みのスクリーニングが実施可能となる。
② 高いユーザービリティ・リモート測定においては、PC のネットワーク化による利点が挙げられる。HPLC・SFC 等の研究機器は複数人で共有して利用する場合が多く、研究者のデスクや実験台から離れて設置されている場合も多い。従来までは、研究者は実験室-測定室間を往復して測定するしか方法がなかったが、PC のネットワーク化により装置へのリモートアクセスが可能となった。実験室やテレワーク中の在宅環境からリモートデスクトップ機能を用いて測定装置を制御するパソコンへアクセスすることができ、研究効率の向上や多様な働き方をサポートすることが出来る環境が整えられている。
さらに、リモート環境からでも装置やサンプルの様子などを正確に把握しながら装置の制御を可能にすべく Internet of Things(以下、IoT)機器と装置制御用 PC を活用した管理体制を構築している。
IoT 機器の事例として、サンプル・フラクション・溶媒瓶を監視する Web カメラ、装置内部を監視する超小型カメラ、SFC においてはポンプヘッドやチラー温度を監視する USB デジタル温度計を導入している。また、装置のスイッチを物理的に押す必要がある場合にはパソコンからの Bluetooth 制御が可能なスマートスイッチを活用し、装置の制御を可能としている。
③ データ・知見の集積化においては、研究機器に付随する制御用 PC からネットワークを介してネットワークフォルダに測定データを集約することで集積化を実施している。さらに、制御用 PC のネットワーク化の利点として、統合されたデータの解析が挙げられる。
ここでは、従来まで研究者の経験と感覚に頼っていた光学分割条件の最適化の知見を、規格化されたデータの事後解析によって形式知化できることが示された。本解析によって、DS 創薬化学研究においては現状 HPLC/SFC の利用比率は 74:26 であり、HPLC による分離が SFC に対して優位であることが分かる。また、キラルカラムのヒット率解析においては、CHIRALPAK® IG が最も化合物の分離に寄与することをデータとして明確に示すことが出来る。
以上に述べた研究機器のスマート化よる光学分割の効率化により、従来までと比較して HPLC/SFC 装置の利用件数は安定的に5倍程(最大10倍程)に増加していることが利用記録より確認されている。注目すべき点は、DS においては分析化学を専門とする精製担当者ではなく、創薬化学研究者が自らこうした装置を使いこなし、合成した化合物の光学分割を実施している点である。システム化された簡便なスクリーニングワークフローの構築と、スマート化によるユーザーの利便性が向上した結果として、利用件数が増加と研究生産性の向上に寄与している。
1) 厚生労働省, “医薬品産業ビジョン2021”、2021 年9月13日
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000831974.pdf(2024/04/01アクセス)
2) 内閣府, 科学技術・イノベーション基本計画,
https://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihui053/sanko1.pdf(2024/01/09アクセス)
3) 日本学術会議科学委員会化学企画分科会, 提言 “化学・情報科学の融合による新化学創製に向けて”,
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t292-1.pdf(2024/04/01アクセス)
4) ダイセル株式会社, “分析用キラルカラムハンドブック”,
https://www.daicelchiral.com/wp-content/themes/daicel/assets/add_img/pdf/catalog/analytics-chiral-handbook.pdf, (2024/04/01アクセス)
5) Guidance Document, Development of New Stereoisomeric Drugs; U.S. Food and Drug Administration, Center for Drug Evaluation and Research: 1992
6) Investigation of chiral active substances (human) - Scientific guideline; European Medicines Agency, Science Medicines Health: 1993
7) A. S. Long, A. D. Zhang, C. E. Meyer, A. C. Egilman, J. S. Ross, and J. D. Wallach, JAMA Netw Open., 4(5), e215731 (2021)
8) R. U. McVicker, and N. M. O’Boyle, J. Med. Chem., 67, 4, 2305-2320 (2024)