技術情報 Jasco Report 赤外分光・水晶振動子微小天秤・相対湿度制御法(IR/QCM/RH法)の開発と様々な物質の水吸着・脱着の定量評価
Jasco Report

赤外分光・水晶振動子微小天秤・相対湿度制御法(IR/QCM/RH法)の開発と様々な物質の水吸着・脱着の定量評価

一般社団法人 自然環境・科学技術研究所(RINEST) 中嶋  悟
Introduction

赤外分光法は、様々な物質(固体、液体、気体)中のある分子種などの化学結合状態を調べ、またそれらを定量的に評価できる有用な方法である1),2)。しかしながら、赤外分光法による分子種の定量には、次の2つの問題点がある。

第一に、その分子種固有の吸収極大(ピーク)の波数位置における吸光度(Abs:無次元)、あるいは吸収帯の面積(積分吸光度)から、その分子種の濃度(例えば体積モル濃度 c : mol.L-1)を求めるには、次のランベルト・ベールの法則において、光路長 d(cm)とモル吸光係数 ε(L.mol-1.cm-1)の値が必要である1),2)。ここで、I0 および I は入射光強度および透過光または反射光強度である。

吸光度 Abs = -log I / I0ε d c(ランベルト・ベールの法則)(1)

光路長 d(cm)は、めのう(多結晶石英集合体)薄片3) の厚さを膜厚計やレーザー共焦点顕微鏡などで計測できる場合は求めることができる。そこで、薄片厚さの異なる試料をいくつか用意し、赤外分光測定での水の吸光度と厚さをプロットすると、その近似直線の傾きは Abs / d = ε c なので、熱分析など別の方法でめのう中の水分量 c がわかれば、モル吸光係数 ε を求めることができる。あるいは目的の分子種の含有量を変化させた KBr 錠剤を作成できれば、その赤外分光測定での分子種の吸光度 Abs と濃度 c から検量線を作成すると、その近似直線の傾きは Abs / c = ε d なので、濃度未知試料を同じ条件で試料の厚さ d は同じとみなせる KBr 錠剤を作成できれば、濃度 c を求めることができる。しかしながら、上記のような検量線作成ができる場合は限られており、モル吸光係数 ε(L.mol-1.cm-1)の文献値がある場合は良いが、一般的には定量は困難である。

第二に、その分子種の吸収極大(ピーク)と吸収帯の波数位置が、分子種の周辺環境によってシフトする。例えば、液体の水の OH 伸縮振動の吸収帯は、3700-3000 cm-1 にわたる広い波数範囲に広がるが、それは水分子 H2O 同士が O...H の間で0~4つの水素結合をしており、その水素結合の程度が大きく変化するからだと考えられている。O-H のバネが右横から O で引っ張られてバネが弱まり、水分子 H2O の O-H 伸縮振動の波数が小さくなると理解される。実際、Nakamoto et al.(1955)では、様々な物質の OH 伸縮振動の吸収極大波数と水素結合で結ばれた O...O 間距離を調べ、水素結合距離が短く、水素結合が強いほど、吸収極大波数が低波数側にシフト(Red shift)するとしている4)。生体分子においては、水の存在が生命活動において大変重要であるが、水素結合が長くて弱い水を自由水、水素結合が短くて強い水を結合水と呼んで2つに区別することが多い5)-7)。しかしながら、実際の液体の水は、溶存イオンなどの影響によりさらに4つ程度に分類される水分子集団(クラスター)の集合体とされることもある8)-15)。例えば、塩水は純水よりも水素結合の長い成分が多いが、炭酸水は逆に水素結合の短い成分が多い8)

以上のように、赤外分光測定においては、目的の分子種固有の吸収極大(ピーク)の波数位置、そこにおけるモル吸光係数 ε (L.mol-1.cm-1)、あるいは吸収帯の面積に対する積分吸光係数、そして光路長 d (cm)がわからないと、その分子種の濃度(例えば体積モル濃度 c: mol.L-1)を求めることができない。

著者らは岩石、鉱物、マグマ、ガラス、植物、微生物、タンパク質、多糖類、食品、様々な材料などに含まれる水について、主に顕微赤外分光法によってその水素結合状態と量を評価してきた12)-29)。しかしながら、より一般的に必要とされる、様々な物質への水の吸着量および脱着量を評価しようとする場合、赤外分光測定と同じ条件で別の手法で含水量を求めることは大変難しい。特に、試料量が少量である場合は、精密天秤でも吸着水量を計量することはほぼ無理である。

そこで、著者らは、微小量の水分吸着も計測できる方法として、水晶振動子微小天秤法(Quartz Crystal Microbalance: QCM)を用いることを考えた30)。その際に、相対湿度(Relative Humidity: RH)制御システムも自作した。当初は、RH 制御システム内においた QCM 上の試料による水分重量の定量と、顕微赤外分光計の顕微鏡ステージ上においた RH 制御システム内の試料での赤外分光測定を別々に行う予定であった。しかし、QCM の金電極上においた試料で、直接顕微赤外分光透過反射測定ができるのではないかと考え、赤外顕微鏡下の RH 制御システム内の試料で QCM 計測と赤外分光測定を同時に行ってみたところ計測でき、赤外分光・水晶振動子微小天秤法・相対湿度制御法(IR / QCM / RH 法)を開発することができたので、ここで解説する。

1) 田隅三生:赤外分光測定法─基礎と最新手法,日本分光学会編集委員会,株式会社エスティジャパン, 201p. (2012)
2) 古川行夫:赤外分光法,日本分光学会,分光法シリーズ4,講談社,320p. (2018)
3) Nakashima, S., Matayoshi, H., Yuko, T. , Michiba-Michibayashi, K., Masuda, T., Kuroki, N., Yamagishu, H., Ito, Y. and Nakamura, A.: Tectonophysics, 245, 263-276 (1995)
4) Nakamoto K., Margoshes M., Rundle R.E.: J. Am. Chem. Soc, 77 (24), 6480-6488 (1955)
5) 上平恒:生命からみた水,共立出版,96p. (1990)
6) 上平恒:水とはなにか,新装版,ミクロに見たそのふるまい,講談社,227p. (2009)
7) 永山國昭:水と生命─熱力学から生理学へ,173p. (2000)
8) Masuda, K. Haramaki, T., Nakashima, S., Habert, B, Martinez, I. and Kashiwabara, S.: Applied Spectroscopy, 57 (3), 274-281 (2003)
9) Kataoka, Y., Kitadai, N., Hisatomi, O. and Nakashi-Nakashima, S.: Applied Spectroscopy, 65, 436-441 (2011)
10) Kitadai, N., Sawai, T., Tonoue, R., Nakashima, S., Katsura, M. and Fukushi, K.: Journal of Solution Chemistry, 43, 1055-1077 (2014)
11) Habuka, A., Yamada, T. and Nakashima, S.: Applied Spectroscopy, 27 (4), 767-779 (2020)
12) 中嶋悟:日本物理学会誌, 57, 746-753 (2002)
13) 中嶋悟:表面科学, 30, 140-147 (2009)
14) 中嶋悟:日本赤外線学会誌, 23, 1, 71-81 (2013)
15) 中嶋悟,鍵裕之: 7.2 顕微赤外・ラマン分光法,「マイクロビームアナリシスハンドブック」,オーム社,p.576-583 (2014)
16) Nakashima, S., Ohki, S. and Ochiai, S.: Geochem. J., 23, 57-64 (1989)
17) Okumura, S. and Nakashima, S.: Physics and Chemistry of Minerals, 31, 183-189 (2004)
18) Okumura, S. and Nakashima, S.: American Mineralogist, 90, 441-447 (2005)
19) Okumura, S. and Nakashima, S.: Chemical Geology, 227, 70-82 (2006)
20) Tokiwai, K. and Nakashima, S.: American Mineralogist, 95, 1052-1059 (2010a)
21) Tokiwai, K. and Nakashima, S.: Physics and Chemistry of Minerals, 37, 91-101 (2010b)
22) Azuma, W., Nakashima, S., Yamakita, E., Ishii, H.R. and Kuroda, K.: Tree Physiology, 37, 1367-1378 (2017)
23) Alipour, L., Hamamoto, M., Nakashima, S., Harui, R., Furiki, M. and Oku, O.: Applied Spectroscopy, 70 (3), 427-442 (2016)
24) Yamakita, E. and Nakashima S.: Journal of Agricultural and Food Chemistry, 66(35), 9344-9352 (2018)
25) Kudo, S., Ogawa, H., Yamakita, E., Watanabe, S., Suzuki T. and Nakashima, S.: Applied Spectroscopy, 71 (7), 1621-1632 (2017)
26) Kudo, S. and Nakashima S.: Skin Research and Technology, 25, 258-269 (2019)
27) Kudo, S. and Nakashima S.: Spectrochimica Acta Part A: Molecular and Biomolecular Spectroscopy, 228, 117779 (2020a)
28) Kudo, S. and Nakashima S. Spectrochimica Acta Part A: Molecular and Biomolecular Spectroscopy, 241, 118619 (2020b)
29) Shinozaki, H., Nakashima, S., Takahashi, S.; Hanada; A. and Yamamoto, Y.: Journal of Non-Crystalline Solids, 378, 55-60 (2013)
30) 岡畑惠雄, バイオセンシングのための水晶振動子マイクロバランス法─原理から応用例まで,講談社サイエンティフィク,310p. (2013)